『歩いても 歩いても』 (是枝裕和 2007年)


いつからか映画を観ることがぐっと減っている私だけど、フランスで話題の日本映画だけはそれなりに追ってきた・・のかも。

5月頭には送ればせながら、『Still Walking』というタイトルで公開されていた『歩いても 歩いても』を観てきました。

江角マキコが素敵に見えてきちゃう『幻の光』(1995年)、オリジナリティのある真面目な脚本が良かった『ワンダフルライフ』(1998)、柳楽優弥がカンヌで主演男優賞を獲得した『誰も知らない』(2004)、それからTV向けに作られたドキュメンタリーなどで毎回感心させられてきた是枝監督の力量が、今回も存分に発揮されているなーというのが、『歩いても 歩いても』全編を通しての感想です。

15年前に亡くなった長男の命日のために、兄と妹がそれぞれの家族を引き連れて両親の家に戻ってきた一泊二日を淡々と描写するこの映画。

自慢の息子を失った喪失感を埋められないままの父母や、兄にはかなわないという諦念の様なものをいだいてきた次男、前夫との子どもを連れて嫁いできたその妻、ちゃっかりものの妹一家がそれぞれの役を感心してしまうほど見事に演じていてそれだけでも見ごたえがあるのに、あちらこちらでふと漏れた一言やワンシーンが、見事にどこかよそのシーンとシンクロしているのが凄かった。

恐るべし・・・。

理屈家の私でも大満足できる出来なのだけど、ここまで来ると「あまりにも」という気がしないでもない。








たとえば、小津の『東京物語』を語る時によく出てくる説明の1つに、「老妻(東山千栄子)の亡くなる前と亡くなった後のシーンを同じカメラアングルで撮影し、夫(笠智衆)の中の喪失感を浮き立たせている」というものがある。(尾道の自宅の居間のシーン。)

ラストシーンを見て是枝監督も同じ事をしているのかな・・と思ったけれど、小津監督と違ってなんとまぁ分かりやすいこと!!

この『歩いても 歩いても』を名作だと思いつつも、そのあまりの完璧主義ぶりを観ているとたまに辟易してしまったり、「これなら役所広司が無理矢理乱入してくる『トウキョウソナタ』の方が良かったかな」なんて思った私は、いつの間にかひねくれ者になってしまったのかもしれません。

是枝監督が「匠」の様な技術と信念を持っているのが再確認できたけど、そのワザがまさに「巧み」すぎて、「巧妙」の域に達している感じがした作品でした。

『誰も知らない』を素直に受け入れきれない私だから、余計こういう気持ちになってしまったのかもしれないけれど・・。

でも、ま、文句(?)をぶぅぶぅ書いてしまったけれど、相手が大人なら誰にでも勧められるし、テレビで放映されているのに偶然出くわしたらまた最後まで見ちゃいそうな映画なのは、とにかく間違いありません。


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