昨年末の衝撃と、思ったこと
クリスマスも迫った去年のある朝、私は心底驚いた。
(これは当時撮ったプランタンかラファイエットのショーウィンドー。)
ポトの頭を見てはいつも、「この子の髪の毛って上に向かって伸びているのね。面白〜い」なんて思っていた私。
ところがある日、出社前に髪を洗ったあと鏡の前で頭をサーッといじっていたら・・・・あれ??私の髪も上に向かって生えている???
???
・・・というか、一体全体なんだって、この髪の毛たちはこんなに短いの??
鏡を見てよ〜く考えた。
最近の事が走馬灯の様に(?)よみがえる。
そういえば先週、高級ホテルのトイレの洗面台の鏡を見て
「あれ?地肌が見えてる!!前髪が薄くなってる!!」
と、びっくりしたんだよね。
産後は髪の毛がたくさん抜けると聞いていたから、気にはしなかったけど。
そしてもうひとつそういえば、最近前髪がキマらなかったんだよね。
髪が伸びすぎているのが原因かと思っていたけれど、よくよく考えれば勝手に真ん中で分かれちゃうのはいつもには無い事態で、どうもおかしかったよね・・・。
よく見えないけど、この短い髪の毛達は直径3センチぐらいの円の中から生えている。
・・・・つまり・・・私ってば一時期円形脱毛症だったのね・・・。
何度も書いてきたけれど、ポトは生まれてから最初の一ヶ月はこの地球での生活に対応できないのか、泣いてばかりで本当に大変だった。
しかも私の場合、病院の出産する部屋を出た瞬間から24時間体制でポトの世話を始めたので、ずいぶんと長い間ぐっすりと寝られなかったのだ。
今となっては懐かしいあの時期、右足の神経もおかしかったし、私の体は相当疲れていたんだろうな。
びっくりしたけれど、ハゲていてもこの日まで気づかずに居た自分がなんだか可笑しい。
不安になるべき事態だったのかもしれないけど、気づいた時点でもうこれだけ立派に生え揃ってきているのだから、心配のしようがない。
それからしばらくして髪を切ってくれた美容師さんによると、私は前髪部分全体が薄めになっていて(元が多すぎなので実感なかったけど)、でもあちこちから短い毛が新たに生えてきているところらしい。
「もうしばらくがんばってくださいね」
と言われたけれど、髪は私の知らぬ間に勝手にハゲて、これまた勝手に生えてきているのだから私には何も頑張る事がない。
円形ハゲから新たに生えてきている短い髪が人目に触れぬ様、毎朝髪の分け目に気をつけるだけだ。
(それでもたまに、この髪の毛達がぴょこっと顔を出しているけど。パリのメトロの中でツノかアンテナの様な髪の生えている日本人が居たら、それが私です。)
さて・・・ぼんやりしていた自分があまりにもおかしいのでこの一件についてこうしてブログに書いているけれど、これを読んで私のことを
「あぁ、可哀想に」
と思って心配してくれる人も居ると思う。
確かに異国で、しかも核家族で、赤ん坊を育てると不便な事や不安な事もある。
私の場合は産後に母も日本から応援にかけつけてくれたけど、仕事の都合で一週間だけだったし。
私の実家の家族は日本とカナダに住んでいるし、義母は一昨年に亡くなっているし、比較的近くに住んでいる義弟アランは子どもに慣れていないし(よりによって彼は、抱っこするだけでポトを泣かせてしまう唯一の大人・・)、もう1人の義弟はノルマンディー在住だし。
私の実家の家族が近くに住んでいればよかったのに、と感じることはしょっちゅうだ。
だけど・・・・この状況を「残念だ」とは思っても、「辛い」とは思いたくない。
日本に住んでいる日本人ママの全てが実家に子育てを助けてもらえているワケでもないし、私の場合は家族皆が健康で育児に専念できるだけでもとてもありがたいのだから。
それに、とことん考えて自分で納得のいく結論を出してから好きな様に実践できる今のスタイルは私の性格に合っているし。
(もちろん、本を読んでいてもどうしても自己流育児になってしまうのは気をつけないといけないけど。)
世間にはいつ会っても笑顔の人も居れば、年中必ず何かしらの不満を抱えている人も居る。
私もできるだけ前者に近づきたいな。
ある一定の基準さえ満たしていれば、どんな生活環境にも良い点と悪い点はつきもの。
最近つくづく、人間の幸・不幸ってやっぱり、幸せ(または不幸)を感じ取る能力によって決まるところが大きいんじゃないのかと思うのだ。
私の毎日にはこのブログにふだん書いている通り、楽しい事や嬉しい事がいっぱいある。
このハゲ事件の様にギョッとしてしまう出来事だってたまにはあるけれど、笑顔で話せるうちは本当に幸せなんだな・・と自分では実感しているし、そう思える自分であり続けたいな。
・・・な〜んて書いたけど、結局私の言いたいのは
・常に至らない点はあるけれど、私なりに大変な時だってあって、それでも頑張っていることは分かってほしい。
・こんな事を書いたからと言って、今度は一転して「かわいそう!」と思われても困る。
という事なのです。
これって、都合良すぎなのかなぁ?どうなんでしょ?
(でもほんと、ピンポイントの情報を元に「ものすごく幸せなのね、うらやましすぎ!」と解釈されるのも、逆に「かわいそう〜」と同情されるのも、違うな、と思うのです。)