出産の思い出


ブログ更新のままならない日々が続いているけれど、あれからも私達は元気で息子は縦にも横にもすくすくすくすく育っています。

そして気づけば、とにかくドタバタで大変だったんだか楽だったんだか分からない出産をしてから、あっという間に一ヶ月が経過していました。








お腹が痛くて出血もあったので病院にタクシーで向かったら、陣痛が10分に1・2回あったにも関わらず何かの位置がまだ全然変わっていないからという理由で家に帰されてしまったあの日。

病院側の言う事を間に受けて「5分おきの陣痛が2時間続いてから改めて」家を出ようとしていたら、私自身のトロさも災いして大変なことに・・・何しろ救急車で病院に着いたのが21時半なのに、出産時間は21時51分。

私の赤ちゃんは、病院についてから20分後に生まれたのです!!!!!

(自家用車やタクシーで向かっていたら危ないところでした・・。)








ちなみに、私が思い描いていた出産とは「ディノに立ち会ってもらって、持参したCDを聴きながら(分娩室にプレーヤーがあるので)の無痛分娩」。

比較的穏やかで感動的な時間を期待していました。

なのに、全てが予定外の方向に・・・。

何しろ、時間が無かったせいで上記の希望は何1つとして叶わなかったのだから。

そして、出産までの流れは異様に早かったものの胎盤を取り出したり会陰を縫合したりの後処理に時間がかかり、ディノが分娩室に入れたのも出産してから2時間以上経ってからでした。

(スタッフさんに「彼、大人しいのね(il est sage)」と言われたのでてっきり赤ちゃんの事かと思ったら、ドアの向こうで本を読んでじーーっと我慢強く待っていたディノの事でした。)








出産の直後は、1人で普通分娩をできたのがある意味誇らしかったのも事実です。

(病院に着いてからすぐに分娩台に乗り、麻酔を打つ間もないまま言われる通りに6・7回いきんだら生まれてきただけなのだけど・・。)

赤ちゃんが出てから泣き声が聞こえるまでの間が長く感じられて少しヒヤリとした事、生まれてきたばかりの我が子を胸元に乗せてもらったら彼の指のツメが私の目に飛び込んできて、「こんなに小さいのに、必要なものは全て持っているんだなぁ」と感激したことを覚えています。

そして、この時の感動を思い返せば返すほど、また、ディノが後になってぽろっと「誕生の瞬間に居合わせたかったな」と言ったのを思えば思うほど、「立ち会ってもらう予定が変わってしまったのはやっぱり残念だったなぁ」という思いが出てきたのも事実。

残念さや、このせいでディノの父性が育たなかったらどうしようかという不安もあり(これは杞憂でした)、産後2日泣き喚きっぱなしだった我が子に困った時はマタニティブルーになりかけました。

病院がスパルタ系だった事もあり、今思えば入院中は入院中でなかなか大変だったのだけど(これは今度書きますね)、母子ともにずっと健康なのだからヨシとしましょう。








この写真は、生まれて2時間半ぐらい後に撮ったもの。

私の処理が終わってからやっと初めての母乳を飲み、ぎこちない手つきのディノにパジャマを着せてもらったところ。


この時は申し訳ないぐらいにブカブカだったパジャマも、今はぴったり!(1番上の写真参照)

何しろこの子ってば3180グラムで生まれたのに4週間で4420グラムに、そして今は4820グラム(!)なんだものね。

背も伸びているとはいえ2重アゴだしお腹はパンパンだしで、ちょっと心配です。

生まれてからしばらくの間に「母乳は赤ちゃんが望むだけ与えてください」と言われたり読んだりしたのだけど、うちの子は両親に似てものすごい食いしん坊らしく・・・それじゃダメだったみたい。

小児科医の先生にもPMIの方にも「飲ませすぎです」と言われる様になったので、今はできるだけ3時間あけてから授乳する様にしているのだけど・・・なかなか難しいです。

私もディノも赤ちゃん時代はころころに太っていたのでこれこそが自然な流れという気もするし、一説によれば母乳で太るのは問題ないらしいし、あまり神経質になりすぎずにやっていこうと思います。


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