『セリ・ノワール』 (アラン・コルノー 1979)


ようやく観れた・・・この恐ろしい映画を。

一人殺したら、もう二人も三人も同じなのだろうか?

その意志に、一貫性のない男(パトリック・ドヴェール)。

生活が耐え難いものであったのは確かだけど・・・彼の起こす一連の事件の原因には「こうしたい!」という意図だけでなく、その場その場での衝動も見え隠れする。

今の暮らしから抜け出すためにお金が欲しかったのだけは最初から最後まで変わらなかったけれど、大叔母に売春させられているモナ(まだ若いマリー・トランティニャン)に惹かれている様でありながら、妻(ミリアム・ボワイエ)が家に戻ってくれば喜んでいる。

映画の終わりの方で観客が抱く「これからどうするの?本当はどうしたいの?」という問いに応えてくれるのは本人の意思ではなく、私達の目の前に突きつけられる恐ろしい、突発的とも言える事件だけ。

陰鬱さの漂わないシーンのない映画を観た後、どうしてここまで歯車が狂ってしまったのか、新聞の三面記事に載る様な事件の背景ってこういうものなのだろうか、と考える。

同じシナリオを使って、観客に「恐かった」とか「あぁ恐ろしい」と思わせる映画を作るのはある程度の監督なら誰でもできること・・・でもここでは1人1人の脆弱さと突発的な強引さが見事に描かれていたので、ブラックな映画が苦手な私でも人間群像劇として最後まできっちりと観れました。








『インド夜想曲』(1989)や『畏れ慄いて』(2003)のコルノー監督の代表作の1つは、こういう映画だったのね。
(もちろんタイトルから想像できなかった訳ではないけれど。)

引き出しの多さを実感。

と同時に・・・明らかに胎教にはよくない映画だったなぁなんて思ったり・・。

そして・・・作品自体とは全然関係ないのだけど、パトリック・ドヴェールの最期の話を聞いて、それにマリー・トランティニャンの死因も思い出して、重苦しい気持ちになる。

帰り道で
「あと2ヶ月(『セリ・ノワール』を観たのは5月下旬)は、殺人事件や血の出るシーンの無い映画だけを選ぶ事にしよう」
と、決意してみたのでした。


(1番上の写真は、この映画を観たケ・ブランリー美術館の入り口です。)


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